シベリアからエストニアへ

シベリア生まれの義母は”ソ連時代を生き抜いた感”がとてつもないので、いろんな話を聞くたびに「もっと後世に伝えるべきでは?」みたいな気持ちになる。私はソ連を教科書で見た昔の歴史のように感じていたけど、エストニアでは身近にソ連の記憶が残っている。

ソ連崩壊は 1991 年だし、かなり最近の話。ちなみに日本のバブル崩壊も同時期。

ストレートにソ連の記憶というタグを作ったので少しずつ書いていきたい。カテゴリは見聞録

シベリアで生まれ育った義母のお母さんの話

ノボシビルスク近郊、彼女はもともと裕福な家庭の出身だった。シビルキナ(Sibirkin/a)という名字で、そこらで有名なちょっとした名家だったとか?

AI に聞くとシビルスキー(Sibirsky)の方が貴族や地主っぽい名前らしいけどどうなんだろう?いまいち分からないので聞いた通りに書く。検索してもよく分からないので詳しい人教えて欲しい。

とはいえソ連時代、お金持ちが存在してはいけない。農場や家はソ連時代にすべて没収され、突然貧しくなった。

父は第二次世界戦争で帰らぬ人となった。母は干し草の作業中に馬から落ちてお腹にピッチフォークに刺さり、病院へ搬送され手術が必要だったにもかかわらず、莫大な金を用意できずにそのまま亡くなった。たった 9 歳にして両親を失う。

紙幣のお金ではなく金(ゴールド)を要求された、ということを強調したい。紙幣にあまり価値がなかったのか?

9 歳から 16 歳まで、偉い人(エストニア語で”osakonna juht”と言っていた)の家に引き取られ、使用人のように働かされた。家に残されたお金も稼いだお金もすべて取られ、コートも与えられず、どこにも行けなかった。冬は-40 度の世界。

その家の実の娘は医者になるために大学へ行った。一方で、彼女は映画などのダイレクターになりたかったが、結局看護師になった(どこで学んだかなどの詳細は不明)。

そして 19 歳のとき、1 歳年下の男性と出会い結婚した。つまり義母の父にあたる人はエストニアから強制移送(いわゆるシベリア送り)されていた。私からしたら「なんでここで出会えるの!?」と疑問が湧いたけど、看護師なら収容所などで出会う機会もあるのか…?詳しくは分からない。

ちなみに夫より背の高い兄弟も彼女に求愛していたらしいけど「彼は背が高すぎて、子どもが彼女のお腹に入らない」などと笑って言っていたとか…あと細かったからそもそも結婚できると思ってなかったとか…(手足がもう少し太かったら、と願ってたらしい)

そのうち娘(義母)が生まれたりして、乳児を抱えてエストニアに来た。なお夫(義母の父)は若くして戦争で亡くなった。彼女は 60 を超え、エストニアにある病院で亡くなった。

会うことは叶わなかったけど、エストニアに来てからも目まぐるしい変化を送ったんじゃないかと思う。

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