うちの庭には鶏がいた

⚠️屠殺などセンシティブな内容(文字のみ)が含む投稿です

鶏がやってきた

2024年4月、義妹が突然鶏を5羽買ってきた、生きてるやつ。まだ寒いし鶏小屋も整ってなかったから使ってなかったビニールハウスで放牧。一歳になったばかりの長男は喜んで毎日のように通って、最初の発語の一つが「こっこー」だった。

夏になる頃には小さな鶏小屋を買った。定期的に動かせば庭に生えてる草を食べてくれるから食費節約にもなる。とはいえ完全に無料で育てることは出来なくて、栄養のためにも買った鶏の餌を与える。卵の殻もあげるとカルシウムで殻が固くなっていいんだとか。残り物も結構なんでも食べる。

この鶏小屋の造りが悪くて結局手作りで頑丈なモノを建てることになる(下の画像)。

秋が過ぎて外が凍る気温になれば水が凍らないように水を温める機械を買ったり日照時間が短くなってからは鶏小屋の卵産むスペース(閉じているので温かい)のドアの開閉を自動化する装置を買ったり。夜はちゃんと閉めておかないとキツネに食べられちゃったりするらしい。

ほぼ毎日卵を産んでくれるけど、正直金銭的に得とは断言できないし世話が結構大変だなと思う。でも新鮮な卵は美味しい

2025年秋、だんだん卵を産まなくなった。寒くなってきたのもあるけど、義母曰く、それよりも歳を取ったことが原因っぽい。

冬にはいつのまに鶏がいなくなっていた。「外に逃した」とも言っていた。

ここからセンシティブな話が出てくるので苦手な人はブラウザバックしてください。私の拙いエストニア語のせいで話やニュアンスが違う可能性もあります。

スープになる

さて逃げたのか屠殺したのかはっきりとは言えないが、おそらく美味しいチキンスープになった。

義母から聞いた屠殺から解体までの流れは日本とほとんど変わらないんじゃないかと思う。

  1. 首を落とす
  2. 逆さにして血を抜く
  3. 熱湯につけて羽を柔らかくする
  4. 羽をむしる
  5. 皮を剥ぐ

EU法では動物の苦痛を最低限にするためにまず最初に気絶させる必要があるっぽい。ソ連時代は「首を切ったのに動き回り過ぎてどこかに行ってしまった」という話も義母から聞いた。

ソ連時代は牛、豚、鶏…とたくさんの種類の動物を育てていたらしい。だから乳の絞り方も動物の捌き方もバターの作り方もなんでも知ってる。すごい。なお社会主義なので自分の取り分はなかったらしい。

本当は産毛を細かく取って云々するらしいけど、皮を剥いだ方が楽だから省略。エストニアで売ってる鶏肉はそもそもあんまり皮がついてない気がする。

産卵鶏だったけど脂肪がしっかりついてて美味しいらしい。そしてスープにするといい出汁が出る。

普段から丸鶏を買って調理をしているから、どのタイミングでうちの鶏が出されたのか分からない。ウミガメのスープすぎる。子供には見せたくないけど、私はちゃんとこの目で見たかったな。

小学生の頃、「お肉が動物から出来ている」ことを知って肉が食べれなくなった。完全にビーガンだった訳じゃないけど、今も生き物の形がはっきり分かるお肉は苦手。あと単純に骨とか皮とかが面倒で嫌。

春になったら若い鶏をまた飼おうと思う。可愛がって、卵を美味しく食べて、またいつか命をいただくことになるかもしれない。

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