強制連行、シベリアへ

少しずつ義母に話を聞いて(だいたい今まで聞いたことある話を聞き直して)メモ書きしている。カテゴリを見聞録にした。学術的なモノではないけど、リアルな記録として残す。

前は義母の母の話を書いた。今回は父メイン。

シベリアに送られた義母の父の話

父はエストニア生まれエストニア人。両親と弟と共に 12 歳の時にシベリアに強制連行された。いわゆるシベリア送りというやつ。エストニア語とドイツ語しかできなかったからすぐ労働、トラクターを操縦していた。逆にロシア語ができたら学校に行く選択肢はあったのか?よく分からない。

ロシア語も現地で覚えた。ちなみに父(祖父)はファシストだからという理由で半年監獄に投獄されて亡くなっている。

ファシストだからというなんとも滅茶苦茶な理由だけれど、これは下手したらスターリンの大粛清と時期が合うか…?最悪な形で歴史が現実とリンクしてしまったような感覚でつらい。

兄はソ連の兵士、姉二人は結婚して名前が変わったからシベリア行きを逃れたらしい。ンーーーなんで!?とりあえず逃れられるなら逃れてほしい、労働環境はかなり劣悪だったとか。

基本的には貧乏人よりもお金がある人の方がシベリアに送られたんだらしい。正直いまいち基準もよく分からない。社会主義にお金持ちが生まれちゃいけないもんね、と義母の母の話とも一致する。

例えばこの村では家族のうち、母親一人だけがシベリアに送られて 5 人の子供が残されたこともあったらしい。子供はおばあちゃんに育てられた。シベリアで別の男性と結婚して二人の子供をもうけたが、二人ともおそらく飢餓で亡くなったとか。そのうちエストニアには戻って来れたみたいだけど、あまりにも残酷すぎやしないか。一人一人の生活を想像すると、どうも言葉が出ない。

ここで義母の母曰く「穀物が農場にまだ残っていたけど、そのまま農場は燃やされた。食べるものがなくてもそれを拾って食べちゃいけないと命令があった」そうだ。「シベリアではなんでもよく育った。石もないし土が良い。だから雨が降ったらぬかるんで全然動けなかった。」などなど。 “飢饉はなくても飢餓が起こる"って、つい先月アイルランドで聞いた話とそっくりで嫌になるね。

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